にょろちゃんとお姉の小さな物語

iGgと抗核抗体が高く、機能性胃腸症を患うにょろの、
日常生活や、日々、思うことを綴ります。弁護士

39年前の梅雨末期、さようなら。

にょろちゃん。


39年前、パパが亡くなった年の今頃、千葉県船橋市の、

母方の上の叔父の家に行ったら、


にょろちゃんと私が叔父の家に、一歩足を踏み入れてから翌日帰るまでずっと、


叔母の、ものすごいヒステリーの暴言の嵐だった。



悪口だが、何を言われたかわからない。



ひと言、



恵美子さんは狂うわよ。



と、ママのことを言ったことだけ覚えている。


今になれば、ママは子供の頃から精神病だっただろうが。




にょろちゃんと私の前に、ママの母のおばあちゃんが叔父の家に行き、やはりヒステリーで追い帰された。


この家には、おばあちゃんが居る部屋はない。と、不動産屋まで呼んで。



叔父もいとこも無言。


叔母のヒステリーは当たり前だったのだ。

さらに、叔父のヒステリーもおばあちゃんが亡くなった後の法事でわかった。


叔父も精神病だ。



まだ、パパが亡くなり3ヶ月も経っていなかった、



今日と同じように、梅雨末期の大雨が降っていた。


テレビのワイドショーでは、遥か昔の三浦和義が無実だと自分の生活を披露している映像が流れていた。



下のいとこは、イギリス留学中だった。



バブル前夜の年。



しかし、パパが他界した瞬間から、にょろちゃんと私の人生は180度変わってしまった。



M孝康先生のお嬢様と呼ばれた、にょろちゃんと私に、お嬢様の欠片も失くなってしまった。


ひたすら苦労の連続。


そして今、ヘルパーやアメブロやらのひどいいじめ、障害年金が貰えないからお金がない。



私の病気でメルカリをやる体力もない。




ひどい病院で死ぬだけ。



本と楽譜とピアノを見ると、にょろちゃんと私の人生は何だったのか?と思う.



生きて損した。


苦しく辛いだけで、いじめで天涯孤独、病気、貧困。



この家を出たら終わり。



もう、お金がない。



ひたすら真面目に地道に生きて損した。



バブルは何もなかった。



ただの超負け組の人生。



頑張って努力して損した。




いつ死ぬか?

今日か?明日か?

ひどい死に方、苦しんで死ぬだろう。




バカみた。


まだ、記憶がほとんどない、赤ん坊の時に死ねば良かった。




にょろちゃん。さようなら。



お姉は疲れた。

にょろちゃん。

にょろちゃん。


疲れた。

にょろちゃん。

にょろちゃん。



さようなら。


お金ない。


病気。


疲れた。熱。



死ぬだけ。